• トップページ >
  • おおむたの宝もの100選|炭鉱| >
  • Vol.41 旧三池炭鉱専用鉄道
  • おおむたの宝もの100選

     炭鉱

    vol.41 旧三池炭鉱専用鉄道

    もう石炭は運ばねど、いまだ現役

      国道208号を北の郊外から南下してくるといわゆる中心市街地への入口の所で、少し変わった踏切を横切る。単線の線を臥東西に走り、踏み切り信号があるため踏切をあまり意識せず信号に従って通行することが多い。近頃はそこで、遮断機が下り、列車が通過するのに遭遇するのはよほど幸運である。
     この踏み切りこそ、三池炭鉱専用鉄道線路の、往時からすればわずかに生き残っている部分の一部である。西宮浦町付近からJR鹿児島本線に至る約1.8キロの旭町支線と呼ばれたこの部分は、現在は三井化学専用線として運行されている。
     三池炭鉱の運炭鉄道は、1878年に大浦坑から大牟田川河口までを結ぶ馬車鉄道が敷設されたのに始まる。1889年に三池炭鉱が三井に払い下げられるまでの官営だった間は、大規模な鉄道の建設は実現しなかったが、払い下げ後の1891年には横須浜と七浦坑の間、1894年には七浦坑と勝立坑の間、1900年には七浦坑から宮原坑を経て万田坑までの間、1905年に万田坑三池港(この時築港工事中)までの間が開通して、全線が完成した。
     1897年には九州鉄道線(後の国鉄、現在のJR線)と直結されており、当然ながら路線幅も1067ミリメートルと旧国鉄のそれと同一である。
     蒸気機関車は当初、アメリカ合衆国フィラデルフィアのボールドウィン商会製造のものが輸入された。1897年までに、アメリカ、イギリスから17台の蒸気機関車が輸入されているが、残念ながら全く現存していない。
     1909年からは電化工事が始まり、1912年三池港と万田坑の間が電化された。1923年には全線の電化工事が完了している。電気機関車は、1911年に輸入されたドイツのシーメンス社製のものをはじめとして、1949年製造のものまで、22台が活躍し、現在もそのうち5台が動いている。 
     三池炭鉱専用鉄道は元々、採掘された石炭を運び出し、採炭に必要な資機材を各坑口に搬入することを目的として建設されたものであるが、関連工場への原料の搬入や製品の搬出、また従業員が居住地(社宅)から就業地まで通勤するのにも利用された。なお、特筆すべきは、地方鉄道の免許を得て旅客輸送を行った時期もあることである。
     住民の身近にあって、「炭鉱鉄道」と愛着をこめて呼ばれていた三池炭鉱専用鉄道であったが、片山後、三井化学に引き継がれた部分以外は線路や枕木も撤去されてしまった。市街地を半円形状に取り囲むように、細長く残された廃線跡の空き地によって面影が偲ばれるばかりとなった。
     しかし、実はこの空き地には工業用水の水道管やガス管などたくさんのパイプラインが敷設されており、地域の産業活動を支える重要な土地であることには変わりがないのである。
     特別に公開はしていないが、運行中の電気機関車は宮浦石炭記念公園などから見ることができる。

     

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
    このページにつきましては、「大牟田市役所主査・主任会」の許可なく写真、文章などの転載を禁じます。
    リニューアル後、随時更新予定です。 製作・運営:大牟田観光協会

    Copyright © Omuta Tourism Association. All Rights Reserved.