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     歴史・戦跡

    vol.51 萩ノ尾古墳

    鮮やかな彩色がいにしえの死者を久遠に見つめる

     西鉄の萩の尾古墳前バス停から、有明高専へ向かう坂道の右手の階段を上ると、木々の緑と対照的な白い建物が目に入る。こんもりとした樹の茂みが萩ノ尾古墳であり、白い建物が石室の保存屋である。
     萩ノ尾古墳は、大牟田市の南部、焼石山の西に広がる庄原台地の西端にあたり、標高41メートル程である。南には福岡・熊本の県境をなす諏訪川が西流し、当地一帯には阿蘇火山の火砕流堆積物である凝灰岩が広く分布し、当古墳でも石材には凝灰岩が使用されている。
     周辺では、眼下に全長45メートルの前方後円墳である「三ノ宮古墳」を望むことができ、諏訪川対岸には初期横穴式石室を持つ「別当塚東古墳」を含む別当塚古墳群がある。また、現存はしていないが、有明高専の辺りはかつて庄原古墳群があったところである。
     萩ノ尾古墳は径19メートル、高さ4メートル程の円墳であり、2000年に行われた調査では周溝は確認されなかったが、調査で出土した土器から、その築造年代は6世紀後半もかなり下る時代が想定される。
     墳丘内部には西に開口した副室構造の横穴式石室が組まれている。玄室(遺体を安置した部屋)は平面長方形で、凝灰岩の巨大な一枚石を腰石に据え、また玄室・全室の天井も巨大な一枚岩で覆われている。奥壁には一枚の石棚が突き出し、その下にも一枚の板石が据えられている。これは遺体を囲った「石屋形」の一部の可能性もある。この奥壁には、赤色顔料で彩色された壁画が描かれており、萩ノ尾古墳の名を高からしめている。
     彩色は大きく二つの郡に分かれると思われ、右上の一群はゴンドラ形の船が二艘とその間に中心を点を持つ円文が上下に並ぶ。左の船の下には楕円文も見える。左下の一群には盾や弓とも見える装飾もあるが、基本的には円文や三角文を基調とした幾何学文が描かれている。かつては玄室の右壁にも装飾があったと伝えられるが、現在では確認できない。
     石室が開口したのは古く、かつて玄室に祭られていた石造の石座に元禄5(1692)年の銘が刻まれており、江戸時代には開口したものと思われる。よって副葬品なども発見されいない。
     萩ノ尾古墳は1961年、大牟田市で最初の国指定文化財となり、その後教育委員会が石室の保存屋の設置や密閉工事など保存の手立てを講じてきた結果、装飾の依存状態も良く、現地で壁画を充分観察することができる数少ない古墳の一つとなっている。
     古墳は「フードショップヒラヤマ(萩ノ尾古墳まんじゅう」の店)で鍵を借りて自由に見学できる。見学後施錠し、鍵を同店に返却する。店は萩の尾バス停前。

    ▼大牟田市東萩尾町290、他▼JR大牟田駅から西鉄バス有明高専行きで萩の尾古墳前下車、徒歩3分

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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