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     寺社

    vol.65 光圓寺本堂

    大規模な真宗本堂、江戸時代の”彫刻動植物園

      国道208号船津町の交差点から東南150メートルに、真宗大谷派の光印圓寺本堂は東を正面として建つ。寺の南方30メートル足らずに県境があり、旧三池藩と旧肥後藩との境に位置する。当寺は、1593(文録2)年に肥前国籐津郡諫早で創建され、1607(慶長12)年に現在地に移転したという(「大牟田市史」補巻)。現住は17代を数える。
     境内には本堂、山門、鐘楼、納骨堂、庫裏などが立ち、本堂は享和(1801-04年)頃に建設され、山門は本堂に引きつづいてつくられたと考えられる。
     本堂は桁行18.77メートル、梁間17.24メートルで、入母屋造、銅板葦(1932年に瓦葦から葦き替え)で、正面に向拝を葦き降ろす。本堂は正面から、奥行一間の吹き放しの後堂で構成される。入側縁の三方には縁側(1995年修理)があり、外陣の両側面部分は室内に取り込まれる。
     向拝は三柱間分を有し、几帳面取角柱間に虹梁を架け、中備えとして二カ所に組物を据え、柱上と中備え位置の四カ所に牡丹や蓮を透かし彫りした手鋏を付ける。木鼻は、正面が獅子、側面が獏である。入側縁は縁側よりも一框分高く、柱上に出組を据え、格天井を張る。外陣正面は七柱間とも引き違いのガラス戸で、中央三柱間には外側に両折桟唐度を吊る。
     外陣は、丸柱とそれをつなぐ無目敷居で、奥行き方向に間口三間の中央間と間口二間の脇間に区画され、さらに、内陣寄の一間通りは無目敷居で矢来内を区別する。柱・無目敷居の痕跡から、かつては結界で仕切られていたことが分かる。
     矢来内境に建つ丸柱から四方向に虹梁を架け、柱は立ち登らせ柱とし、挿肘木で二手先出組を作り、格天井を張る。4・75メートルの天井高を有する外陣中央間を囲む虹梁上には、麒麟、龍、獅子、鳳凰などの霊獣・霊鳥の彫刻をはめ、支輪板にも兎、魚、亀、菊波などの浮彫りがある。内陣・余間の正面には両折障子を吊り、欄間には金箔の龍をはめ、二手先出組には禅宗様尾垂木が付き、柱・長押・組物などを黒漆で仕上げ荘厳にする。
     内陣中央には小さな阿弥陀如来立像を安置し、北脇仏壇の親鸞聖人は真向である。南脇仏壇には蓮如上人を祀る。内陣は格天井、余間は床差の棹縁天井である。後堂と南横堂は低い棹縁天井で、北横堂の棹縁天井には藩主に学問を教授する際に使用していたという籠駕籠二丁が吊られている。
     旧柳河藩・三池藩の浄土真宗寺院本堂の中での当堂の建築的特徴として、比較的規模が大きいこと、正面の入側縁が吹放しであること、部材にケヤキを多く用いていること、彫刻が多いことがあげられ、当該地域において上質の寺院建築である。
     また、建設年代のわりに、外陣側廻にしないなど、古風な面がある。
     1945年の空襲時に焼夷弾が本堂に落ちたが、住職らの懸命な処置で焼失を免れたという。

    ▼大牟田市藤田町217 ▼国道208号船津交差点から東南150メートル

    このページは大牟田市役所に勤務する主査・主任で構成する互助組織「大牟田市役所主査・主任会」で編集され発刊された「大牟田の宝もの100選」の中から紹介するページです。 発刊時のデータをそのまま引用していますので、問合せ先等に変更がある場合があります。ご確認をお願いいたします。
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