vol.67 稲荷神社
石炭採掘に関わりの深い神社
大牟田市北部宮崎の故森暁氏に、市指定有形民俗文化財「焚石山鎮守社稲荷石祠」が祀られている。この石祠はもと三井化学の東門の左手丘の上に建立されたものと伝えられている。
これは1871年の廃藩置県の際、立花氏が三池藩知事を免じられ東京府貴族として東京に赴任する時、藩知事立花種恭から祐筆の山本邦贇の子山本厳に払い下げられ、さらに実子の森四郎に譲られたものである。もと出雲町の森氏宅にあったものが、家屋の移転に伴い現在地に安置されるようになった。
石祠の左側面には、
太守 立花出雲守種恭朝臣
老臣 屋山外記藤原継篤
立花靭負源高景
奉行 伊藤猪曾治源貞道
福岡蔀大蔵直順
目付 古賀与左衛門藤原矩道
吉村土肥助藤原春明
とあり、右側面から背面にかけて石炭関係者23名の名が列記され、最後に「万延2(1861)年酉歳2月再建 山本邦贇謹書」とある。再建とあるからには、藩主種恭らが石炭採掘を再度藩営とし、7代藩主種周によって創建された稲荷大明神社を改築した折りに建立したものと思われる。
この稲荷大明神社は、もと稲荷山山頂にあったものを現在地の亀甲町に移し、「焚石山鎮守石祠」を造り、その後1864(元治元)年に神殿を建立している。
1934年にこの神殿の棟札を調査した人が郷土史家の本木栄氏である。
奉建立一宇為焚石山繁栄
于時元治元(1864)年甲子12月廿4日
大(守)立花従5位下源種恭朝臣
総奉行庵原覚兵衛藤原康成
奉行 坂井勘左衛門源順信
中島建助藤原惟一
目付 平井善兵衛藤原秀治
当役 高石献吉藤原春郷
宝子山尚大蔵忠章
下役 塚本源吾
荒木嘉十朗
小柳才次郎
この棟札にある当役の高石献吉は「年忌考」という備忘録を遺しており、三池高泉にある高石家で大切に保存されている。それによると、「元治元(1864)年甲子12月廿4日、石山稲荷大明神ム子アケ(棟上げ)、2月14日遷宮有之」と記述されており、棟札と一致する。この時、稲荷山頂にあった稲荷大明神が亀甲町に遷宮された。
高石献吉は、棟札にも記されているように、「石炭当役」として石炭採掘の実務者であった。石山事務所に彼の書いた「諸悪莫作諸善奉行」という木札が掲げられているように、石炭採掘に従事する人々の教育にも心がけた人である。
▼大牟田市亀谷町 ▼西鉄バス米山行きで瓦町下車、南へ徒歩5分
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